本当の七海春歌になって気づいたこと

前回の記事から1年以上経ち、ついに私は本当の七海春歌になりました。

 

周りくどい言い方ですが、ついに私にも彼氏ができたということです。

 

今回はうたプリ大好きだった(今でも大好きですよ!)私が、本当の七海春歌になって気づいたことについてつらつらと書いてみようと思います。話がかなりとっちらかりそうですが、寛大な心で読んでいただけると幸いです。

さて、ついに彼氏ができた私ですが、現実は少女漫画ではありませんでした。
カウンセリングゲームと呼ばれていたうたプリですが、むしろうたプリはある意味で現実的だったんじゃないかと思いました。

 

少女漫画や恋愛ドラマって付き合うまでの過程を描いたりしていますよね。たしかに、付き合うまでのドキドキ感はあの時だけの甘酸っぱい、楽しい時間です。私も実際にそうでした。LINEがかえってくるだけでドキドキしたし、デートの間の微妙な距離感を思い出しただけで、今でもキュンとします。付き合ったら手繋げるのかなあ、なんて考えていました、、かわいいね私

 

でも、私が思うに恋愛の本番って付き合った後だと思うんです。
一緒に過ごしていくということは、楽しいことばかりではないです。価値観が違ったり、相手に不満をもってしまったり。クローンじゃあるまいし、何もかもが同じなんていうことはないのです。要は付き合ってからちらほら出てくる諸問題をどうやって乗り越えるかが大切だと思うんです。


そこで重要になってくるのが、「どんなことがあっても相手と添い遂げようとする意志」なんじゃないかと思います。(かなり壮大な表現になってしまった)

何か問題があったら、そこで終わりなのではなく、関係を続けていく努力が大事、ということです。人間は一回の過ちですべてを失ってしまうのでしょうか。そうではないはずです。相手が成長するのを、気長に待つ。人はすぐには変われないのだから。相手を認め、何よりも自分を認める。

彼と衝突してしまったときは、どっちが悪くても、このことを思い出します。

そして、ずっと一緒にいたい、と思う人に必要なことは何か、というと「その人の嫌な部分・ダメな部分を差し引いても一緒にいたいと思える」ということだと思うんです。
そして、うたプリにはこの要素がある、と思っています。前回の記事に書いたように、私、割とうたプリのキャラのダメなところ言える自信あります。でも、それを差し引いても好きなんです。これが本当に相手を好きだってことなのかもしれない。人を好きになるってこういう気持ちなのかも、と。そういうことを教えてくれるうたプリって素晴らしい作品なんだなって、初めて人を愛して、よくわかりました。

蘭丸の葛藤も、寿嶺二許さないも、今では痛いほどわかります。
初めて経験したからこそ、「あ、うたプリって意外に現実的なんだな」と感じました。

うたプリほとんど関係ないじゃん!!って思うかもですが、意外に自分の中でこの気づきは大きかったんです。

 

気づけば、"本当に遠くまで来てしまった"。真斗くんの言葉をお借りします。

13歳で初めてうたプリに出会って、早8年。
あの時にはわからなかったことが、今では実感として理解できる。すごく不思議な感覚です。